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浦和地方裁判所 平成3年(ワ)640号 判決

原告

上甲哲也

杉山孝子

會田栄

會田和江

右原告ら訴訟代理人弁護士

鳴尾節夫

加藤芳文

中西一裕

吉田聰

中山福二

牧野丘

被告

学校法人しらさぎ学園

右代表者理事長

厚澤春男

被告

厚澤春男

厚澤茂子

関山稔

髙橋章夫

厚澤保明

厚澤日出男

右被告ら訴訟代理人弁護士

長谷川純

込山和人

被告

埼玉県

右代表者知事

土屋義彦

右訴訟代理人弁護士

関口幸男

右指定代理人

三井俊秀

外一〇名

主文

一  被告学校法人しらさぎ学園及び同厚澤春男は、各自原告上甲哲也及び同杉山孝子に対し、各金二五一四万三六八八円宛及びこれに対する平成三年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員、原告會田栄及び同會田和江に対し、各金二四〇一万四一八二円宛及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告学校法人しらさぎ学園及び同厚澤春男に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らに生じた費用の四分の一と被告学校法人しらさぎ学園及び同厚澤春男に生じた費用を右被告らの負担とし、原告らに生じたその余の費用とその余の被告らに生じた費用を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、各自、原告上甲哲也及び同杉山孝子に対し、各金五二〇五万二九二八円、原告會田栄及び同會田和江に対し各金五〇五一万四〇一九円及び右各金員に対する平成三年六月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告上甲哲也と同杉山孝子の子である上甲裕也(以下、「裕也」という。)、及び原告會田栄と同會田和江の子である會田豊(以下、「豊」という。)が、被告学校法人しらさぎ学園において飲用した井戸水から病原性大腸菌に感染して死亡したことを理由として、原告らが、同被告及びその理事長と理事らに対し不法行為に基づく損害賠償を、被告埼玉県(以下、「被告県」という。)に対して国家賠償法に基づく損害賠償を請求した事案である。以下においては、上甲裕也及び會田豊が病原性大腸菌によって死亡した事故を「本件事故」という。

一  争いのない事実及び前提的事実(ただし、争いある被告との関係においては、各項目において括弧内に証拠を掲記する。)。

1  当事者

(一) 裕也は、原告上甲哲也と同杉山孝子の子として、昭和五九年九月二六日に出生した(被告県との間においては、甲第一及び第二二号証、原告杉山本人尋問の結果によって認められる。)。

(二) 豊は、原告會田栄と同會田和江の子として、昭和六一年三月二〇日に出生した(被告県との間においては甲第二及び第二三号証、原告會田栄本人尋問の結果によって認められる。)。

(三) 被告厚澤茂子は、昭和三九年一一月四日、被告県の知事(以下「本県知事」という。)によりしらさぎ幼稚園(以下、「本件幼稚園」という。)設置の認可を受け、被告学校法人しらさぎ学園(以下「被告幼稚園」という。)は、昭和六〇年四月八日、同知事により学校法人としての設立を認可され、本件幼稚園を設置している。

(四) 被告厚澤茂子は、本件事故当時被告幼稚園の理事長であり、被告厚澤春男(以下「被告春男」という。)、同関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明及び同厚澤日出男は、いずれも本件事故当時被告幼稚園の理事であった。また、被告春男は、本件事故当時、本件幼稚園の園長であった(被告県との間においては、被告春男本人尋問の結果によって認められる。)。

(五) 裕也は平成元年四月に、豊は平成二年四月にそれぞれ本件幼稚園に入園した(被告県との間においては、弁論の全趣旨によって認められる。)。

2  本件幼稚園における集団的下痢症の発生

(一) 本件幼稚園の給排水施設の状況(被告県との間においては、甲第五号証の一一ないし一四、乙ロ第八号証、証人海野の証言によって認められる。)。

本件幼稚園の教室の配置、井戸、トイレ、浄化槽、汚水タンク等の位置は、別紙図面のとおりである。

教室つくしの東側にある井戸(以下、「本件井戸」という。)は、深さが地下約五メートルしかない浅井戸で、水位は地表より約1.7メートルである。本件幼稚園の飲料水は、本件井戸からポンプで汲み上げ、各教室、講堂及び屋外中央部の水飲み場へ送られていた。本件井戸に消毒装置は施されておらず、何らの滅菌もなされないまま園児の飲料に供されており、また右井戸には、地面から五三センチメートルの所に隙間があり、異物混入の可能性があった。

園内の建物内にはトイレが二箇所設置されており、園舎の西北角のトイレに近接して七人槽の浄化槽(以下、「本件浄化槽1」という。)と汚水タンク(以下「本件汚水タンク1」という。)が、園舎の北東角のトイレに近接して五〇人槽の浄化槽(以下、「本件浄化槽2」という。)と汚水タンク(以下、「本件汚水タンク2」という。)がそれぞれ設置されている。本件浄化槽1から流出する汚水が本件汚水タンク1に入り、さらに本件汚水タンク2に流れ込み、本件浄化槽2から流れる汚水も本件汚水タンク2に入り、本件浄化槽1からの汚水と混じりあって園外へ排出される。なお右浄化槽には消毒剤は入っていなかった。

本件汚水タンク2は、本件井戸の北西約五メートルの位置にあり、本件井戸の南西約0.8メートルの位置に汚水マス(以下、「本件汚水マス」という。)がある。右汚水マスには、園内の水道施設から排出される水が流れ込み、その後園外に排出される。

本件汚水タンク2は、地中にある継ぎ目部分(上端から六二センチメートルの位置にある)及び同部分の下部から漏水しており、特に右継ぎ目部分は周囲の約半分のモルタルが欠落し貫通状態であった。また、本件汚水マスは、排水口と対面位置に同程度の穴があり、そこから土中に漏水していた。これら漏水は、いずれも土中から本件井戸に流入し、本件井戸はひどく汚染されていた。

本件幼稚園の園児は、園内の井戸水を普段から何らの滅菌処理もしないまま飲んでいた。

(二) 本件幼稚園における集団的下痢症の発生

(1) 平成二年九月ころ、溶血性尿毒症症侯群に罹患した園児又は職員が本件幼稚園のトイレを使用し、病原性大腸菌を大量に含んだ汚水が、本件各浄化槽を経由して本件汚水タンク2に流れ込み、その継ぎ目部分及びその下部に開いている穴から土中に漏水して、本件井戸に侵入し、その結果、本件井戸水を飲んだ多数の園児等が右病原性大腸菌に感染した。右病原性大腸菌はO―一五七:H七(以下、「本件大腸菌」という。)であって、ベロ毒素産生性がプラスであった(VT+)。

(2) 本件大腸菌等に感染した園児等の状況(被告県との関係においては、甲第四号証、第五号証の三、四、第八号証、乙ロ第八号証、第二三号証、並びに弁論の全趣旨によって認められる。)。

本件幼稚園において、平成二年九月七日に一人の下痢症患者が発生して以来、同月中に園児三七人、その家族八人、その他三人の計四八人の下痢症患者が発生した。同年一〇月に入ると下痢症患者数が激増し、同月一日に一一人(園児八人、その家族三人)、同月二日に一二人(園児八人、その家族四人)、同月三日に七人(園児四人、その家族三人)、同月四日に九人(園児六人、その家族三人)、同月七日に八人(園児三人、その家族四人、本件幼稚園職員一人)、同月八日に一六人(園児九人、その家族六人、その他一人)、同月九日に六人(園児三人、その家族三人)、同月一〇日に一二人(園児七人、その家族四人、その他一人)、同月一一日に一四人、同月一五日に一七人と続き、その後患者数は減少傾向となっていった。

右患者らの重症化症例の初発症状では、水様かつ血便を伴った頻回の下痢と腹痛があり、数日間持続する傾向が見られ、及び発熱、嘔吐の程度は比較的軽度であるという共通性がある。また重症化症例二一例のうち一四例が下痢以外の貧血、血小板減少、腎障害を呈する溶血性尿毒症症侯群であった。

そして、原告らが調査した本件幼稚園の園児及びその兄弟一七四人のうち、一〇〇人は下痢のみで、二一人(うち園児一八人)が、下痢以外の貧血、血小板減少、腎障害、神経障害などの合併症を認めた重症化症例であった。またこの重症化症例二一例のうち少なくとも一四例は本件大腸菌が検出された。

3  裕也及び豊の死亡原因(被告県との関係においては、左記(一)及び(二)の事実は、甲第二二、第二三及び第三五号証、原告杉山、同會田栄各本人尋問の結果によって認められる。)。

裕也及び豊は、本件大腸菌を含んだ井戸水を本件幼稚園の飲食施設から飲料し、病原大腸菌なかんずく本件大腸菌に感染し、その結果死亡した。その経過は、次のとおりである。

(一) 裕也

裕也は、平成二年九月二九日に嘔吐があり、同年一〇月二日、腹痛と軽い下痢気味の症状となり、同月一〇日、高熱を発し、同月一一日から再び下痢気味となり、同月一三日以後激しい下痢と血便が続き、同月一六日には、右半身に痙攣を起こし、意識不明に陥り、同月一七日午後五時に急性脳炎により死亡した。

(二) 豊

豊は、平成二年九月一七日から発熱が続き、同月二三日から発熱や下痢がが断続的に続いた。同月二九日に熱はさがったが、同月三〇日と一〇月一日に再び高熱が生じた。同年一〇月二日に症状がいったん軽快したように見えたが、同月一四日夕方から微熱がでて、午後八時ころに嘔吐をし、同月一五日は腹痛、下痢及び血便が続き、同月一六日も腹痛と血便が治まらず、同月一七日には、午後三時過ぎから痙攣を繰り返し、体を硬直させる状態となり、夕方から意識不明の状態に陥り、同月一八日、もがき苦しむ状態となり、午後三時に急性脳症及び出血性腸炎により死亡した。

4  被告幼稚園の責任(ただし、被告県は不知)

(一) 安全管理義務違反

被告幼稚園は、裕也の入園につき原告上甲哲也及び同杉山孝子と、豊の入園につき原告會田栄及び同會田和江と入園契約を締結した。そこで、被告幼稚園は、右契約に基づき、原告らに対し、園児である裕也及び豊の安全、衛生に必要な措置を採るべき義務を負うところ、入園契約に付随する安全管理義務を左記のとおり怠ったことによる債務不履行責任を負う。

(1) 飲料水供給施設に関する義務

本件井戸水は、埼玉県自家用水道条例に規定する「自家用水道」に該当し、被告幼稚園は、本件井戸の設置及び利用に際し右条例が規定する様々な基準・規制に合致しなければならなかった。すなわち、右条例四条によれば、本件井戸の設置に当たり知事の確認を取得し、同三条一項四号によれば、消毒設備を設置し、同七条によれば、次亜鉛素酸ナトリウム等による消毒をしなければならない。

さらに、右条例三条三項によれば、自家用水道施設の構造及び材質は、水圧、土圧、地震力その他の荷重に対して十分な耐力を有し、かつ水が汚染され又は漏れるおそれがないものでなければならない。したがって、そのために絶えず施設の構造について点検を怠らず、もし不十分な点を発見した場合には直ちに修繕等の措置を採らなければならない。しかし、本件井戸には、地面から五三センチメートルの所に隙間があって、井戸外部からの異物混入の可能性があり、実際に近接して設置された汚水タンク等から漏れ出した細菌が右隙間を通って侵入した。また右条例八条によれば、自家用水の取水口等には柵などを設置し、みだりに人畜が立ち入らないように設備しなければならず、同六条によれば、年二回以上の水質検査を実施する義務があり、学校教育法二二条一項一一号においても、毎学年定期的に飲料水の水質検査を行わなければならない。しかし、被告幼稚園は、以上のような規制を悉く無視し、これらを遵守しなかった。

(2) 汚水処理施設に関する義務

① 被告幼稚園は、昭和五三年八月ころ浄化槽2を設置し、昭和五五年ころ浄化槽1を設置した。当時の廃棄物処理法八条一項によれば、し尿処理施設を設置する場合には、工事着手前に知事に届け出なければならない。

次に、廃棄物処理法一〇条一項によれば、浄化槽は定期的に清掃を行わなければならない。本件各浄化槽は全ばっ気式と称せられるものであり、この場合、同法施行規則七条によれば、概ね六か月に一回以上清掃を行わなければならない。

浄化槽法一一条によれば、被告幼稚園は、本件各浄化槽の水質を毎年一回以上検査しなければならない。

ところが、被告幼稚園は、右のような規定に違反し、右届出、清掃、検査の各義務を怠った。

② 浄化槽設置者は、浄化槽の機能を維持するために、消毒薬を必要に応じて補給しなければならないが、被告幼稚園は、そもそも本件各浄化槽の消毒を怠っていた。

汚水処理施設を通過する汚水は細菌の宝庫であるから、浄化槽設置者は、これらの施設から汚水が漏出しないように維持管理すべき義務がある。さらに、仮に漏出するような事態になっても、衛生上、他に及ぼす影響がないように汚水処理施設を設けなければならない義務がある。ところが、本件汚水タンク2には、上端から六二センチメートルの継ぎ目部分とその下部から漏水があり継ぎ目部分からの漏水は毎分八リットル、その下部からの漏水は毎分0.03リットルであった。

また本件汚水マスから流れる排水も、し尿処理施設と同様に衛生上他に影響を及ぼさないように設置されなければならないが、本件汚水マスからも地中へ漏水があった。そして、本件汚水タンク2及び本件汚水マスからの漏水が本件井戸に流入していた。

(二) 土地工作物責任

本件事故は本件幼稚園内に設けられた自家用水道施設及び本件汚水タンク・汚水マスの設置・管理上の瑕疵が大きな原因であり、これらの施設はいずれも土地に接着して人工的作業を加えることにより成立したものであるから土地工作物に当たり、また、これらの施設の内部に生じていた亀裂が上水道への大腸菌混入の原因となったのであるから、その設置又は保存に瑕疵があった。

したがって、被告幼稚園は、民法七一七条による土地工作物責任を負う。

(三) 一般不法行為責任

本件幼稚園の前記(一)のような過失により裕也及び豊は死亡したのであるから、被告幼稚園は民法七〇九条による不法行為責任を負う。

5  被告春男の責任(ただし、被告県は不知)

被告春男は、本件幼稚園の管理運営責任者であって、本件幼稚園における飲用井戸の安全を確保する義務があるにもかかわらず、これを怠った過失があり、その結果裕也及び豊が死亡した。したがって、被告春男は、原告ら及び裕也と豊に対し、民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

二  争点

1  被告厚澤茂子、同関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明及び同厚澤日出男の各責任

(原告らの主張)

被告厚澤茂子は、本件事故当時、被告幼稚園の理事長であったのであるから、本件幼稚園が園児らの飲用に供する井戸に消毒設備を設置し、浄化槽に消毒薬を投与し浄化槽等の設置管理に落ち度がないようにする等その安全性につき配慮する義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、その結果裕也及び豊は死亡したのであるから、民法七〇九条及び七一九条に基づき、その余の被告らと共同不法行為責任を負う。

被告関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明及び同厚澤日出男は、本件死亡当時いずれも被告幼稚園の理事であったから、本件井戸が消毒設備を完備しているか、浄化槽の管理に手落ちがないか等に関し適宜配慮を怠らず、理事会で理事長あるいは園長から報告を求めるなどして、園児の健康、安全を保証すべき注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、その結果豊及び裕也は死亡したのであるから、右被告らは、民法七〇九条及び七一九条に基づき、その余の被告らと共同不法行為責任を負う。

(右被告らの主張)

被告厚澤茂子は、本件当時、被告幼稚園の理事長であったが、実際には本件幼稚園の管理運営を行っておらず職員にお茶を出す等職員の補助的職務しか行っていない名目的な理事長にすぎなかったのであり、本件幼稚園の具体的な管理状況を認識していなかったから、本件死亡についての不法行為責任は負わない。

被告関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明及び同厚澤日出男は、本件事故当時、いずれも被告幼稚園の理事であったが、被告春男の親戚又は友人として、被告春男に依頼されて名目的に理事になったにすぎず、本件幼稚園の具体的な管理状況を認識していなかったから、いずれも本件事故について不法行為責任を負わない。

2  被告県の責任

(原告らの主張)

(一) 住民の生命及び健康が侵害され、その侵害が明白で切迫している状況下においては、行政は、その付与された諸権限を有効、適切に行使して、住民の生命及び健康の安全を図るべき法的義務を個々の住民に対して負う。また、被告県は、地方公共団体として、憲法二五条及び九二条並びに地方自治法二条三項の趣旨に従い、県民の安全、健康及び衛生の向上、増進をはかるべき責務を負っているが、右責務の一つとして飲用水とりわけ学校などの施設において多数の子供らに供給される飲用水の安全を確保する義務を負う。被告県がこれらの義務に反して住民の生命及び健康が脅威にさらされるまま放置することは違法であり、かかる行政上の不作為は国家賠償責任を基礎付けるものである。

(二) 学校教育法三条によれば、学校を設置しようとする者は、監督官庁の定める設置基準に従って設置しなければならない。同法施行規則七四条によれば、幼稚園の設置に関する事項は幼稚園設置基準によるものとされ、幼稚園設置基準(昭和三一年文部省令第三二号)七条二項によれば、幼稚園の施設及び設置等は、指導上、保健衛生上及び管理上適切なものでなければならないとされ、同基準九条五項(平成七年二月八日改正前のもの。以下同じ)によれば、飲料水の水質は、衛生上無害であることが証明されたものでなければならないとされている。

(三) 本件井戸水の危険性に対する被告県の認識について

(1) 被告県は、被告県内における井戸水が一般的に汚染されやすく、また現実に汚染が進み、汚染の程度も次第に悪化していることを認識しており、また県内外における汚染された井戸水を原因とする集団赤痢の発生等の事故を把握して、集団が利用する井戸水が汚染された場合に重大事故に至ることを十分予期していた。

(2) 被告幼稚園は、本件幼稚園の設置認可の申請に際し、本件井戸水から一般細菌数三〇〇が検出され、被告県の設置した中央保健所から要滅菌と判定された旨を記載した水質検査書(以下、「本件水質検査書」という。)を添付していた。被告県の機関である中央保健所が要滅菌と判定したこと自体、本件井戸水の汚染を被告県が認識したことにほかならず、さらに、被告県の所轄部課である総務部学事課は、本件幼稚園の設置認可申請に際し、右水質検査書を被告幼稚園から受領し、これを確認していたのであるから、被告県が本件井戸水の汚染を認識していなかったとは到底いえない。

(3) 被告県の定めた埼玉県自家用水道条例(但し、平成四年三月三〇日第二二号による改正前のもの。以下同じ)二条及び同施行規則一条によれば、右条例は五〇人以上の人に供給する井戸に適用されるから幼児の定員を八〇人として設置認可申請をした本件幼稚園の飲用水設備である本件井戸がその適用対象であることは明らかであるところ、被告幼稚園の設置認可申請書に添付された幼児定員表には幼児数八〇人と記載され、本件水質検査書には、園児らに供給される飲料水の種別が井水と明記されていたのであるから、被告県は、本件幼稚園の設置認可時に、本件井戸水が自家用水道条例四条に基づく県知事に対する確認申請のなされるべき井戸であることを知っていた。また、被告県は、被告幼稚園が同条例に基づく確認申請をなすべき義務があるにもかかわらず右申請をしておらず、したがってまた本件井戸水について右条例六条に基づく定期の水質検査がなされていないことも知り、または容易に知り得た。したがって、被告県が本件井戸水の水質汚染により園児の生命健康に重大な被害をもたらすことを予見しまたは予見し得たことは明らかである。

(4) 厚生省は、昭和六二年一月二九日、都道府県知事等に宛て飲用井戸等衛生対策要領を発したところ、右時点では、埼玉県内の地下水の汚染は相当深刻であり、また右要領に示された対策も具体的かつ徹底的なものであった。すなわち、右要領によれば、申請の有無にかかわらず井戸の有無やその管理の状況を調査すべきであり、また留意事項として、優先順位の高いものから実施してもよい旨通知されていたから、本件井戸のような多数の子供に供される施設に設置された業務用井戸を重点的に調査する方針さえ採れば、被告県は容易に本件井戸水の汚染を把握することができた。

(5) 被告幼稚園は、昭和六〇年四月八日、被告県から法人として認可されたが、被告県総務部学事課は、右認可に際し、本件幼稚園の施設設備が幼稚園設置基準に適合する状態にあるか否かを確認すべきであり、右確認をしておれば、本件井戸水の汚染状況を容易に知ることができた。

(6) 被告春男は、昭和六二年一一月、被告県の設置する大宮保健所に本件井戸水の検査を依頼したところその結果は「一般細菌一ミリリットル中一七〇個、大腸菌検出、煮沸すること」というものであり、そのままでは明らかに飲用に適さない旨判定された。この時点で被告県は、本件井戸水に大腸菌が混入しており、煮沸しなければ飲用に適さないことを把握していた。この点、被告県は、被告春男個人が持参した井戸水の水質検査結果から直ちに本件井戸水の汚染を認識し得ない旨主張するが、同年の始めに前記のとおり厚生省衛生対策要領が発せられ、地下水の汚染状況の把握と原因の調査の徹底が通知されていたのであるから、右保健所において直ちに被告春男に井戸水の利用状況を問いただすことにより、容易に本件井戸水の汚染を知り得たことは明らかである。

(7) 本件幼稚園は、平成元年九月から一二月にかけて園内に室内温水プールを設置し、平成二年七月にその設置届を被告県に提出した。そこで、被告県総務部学事課は、その際右温水プールの水源を確認することにより、本件幼稚園が井戸水を使用ししかも園児の飲用に供していたことを容易に知り得た。右設置届けを提出させる目的が私立幼稚園の資産状況の把握のみであったとしても、温水プールの設置により大量に使用する水が上水道であるか井戸水であるかを確認するのは所轄庁として当然の責務であり、極めて容易なことであった。

(8) 被告幼稚園は、遅くとも昭和五五年度以降被告県から補助金の交付を受け、また遅くとも昭和六一年度から、毎年定期的に、交付された補助金が適正に運用されているかどうかについての検査指導を受けており、その際、環境衛生に関する検査指導も受けていた。右検査指導の調書には、学校保健法に基づく学校設置者の義務である環境衛生検査実施の有無を確認する項目が設けられていたのであるから、飲料水の水質検査の具体的内容を確認すれば、本件井戸水の汚染を直ちに把握できたはずである。

被告県は、裕也、豊を始め多くの本件幼稚園の園児が発病していた平成二年一〇月八日の時点で平成二年度の補助金交付にかかる検査指導を行なったのであるから、その際本件井戸水についても検査指導をすることにより、本件井戸水を飲んだ多数の園児が下痢症状に苦しみ欠席していることを容易に知り得た。

(四) 本県知事の権限不行使

被告県は、右のとおり、本件幼稚園の園児が一般細菌や大腸菌に汚染されている本件井戸水を飲料していることを知り、もしくは容易に知り得たのであり、しかも本県知事は左記のとおり諸権限を容易に行使することができ、しかもそのひとつさえ行使すれば本件事故の発生を防止することができたのであるから、本県知事にはこれら権限を行使すべき作為義務があった。ところが、本県知事は右権限を一切行使せず、その結果本件が発生したのであるから、被告県は、原告らに対し国家賠償法第一条に基づく損害賠償責任を負う。

なお、左記のうち国の機関委任事務の職務の執行としての権限の不行使についても、被告県は、国の機関委任事務の職務の執行にあたる知事及びその補助機関の給料を支払い、所用の経費を負担するものであるから、国家賠償法三条一項によりその責任を負う。

(1) 幼稚園設置基準充足の判断・指導権限

本県知事は、学校教育法四条により、私立幼稚園の設置認可権限を有しているところ、同法三条及び同法施行規則七四条を受けた幼稚園設置基準七条二項は、幼稚園の施設及び設備等は指導上、保健衛生上及び管理上適切なものでなければならないとし、同基準九条五項は、飲料水の水質は衛生上無害であることが証明されたものでなければならないと規定しているのであるから、右知事は、被告幼稚園の設置認可申請に対し、少なくとも本件井戸水について滅菌措置を完全に講じるよう指導し、右措置がなされたことを確認してから設置認可する権限を有していたのであり、右措置を施さない限り、右申請を却下するか、或いは設置認可の条件として右措置の設置を付すべきであった。

(2) 埼玉県自家用水道条例に基づく権限

前記主張のとおり、本件幼稚園には埼玉県自家用水道条例が適用されることから、本県知事は、被告幼稚園に対し、右条例四条による同知事に対する確認申請をなすよう指導する権限を有していた。また本県知事は、右条例に基づき、本件幼稚園の設置認可時及び設置認可後において、自家用水道の敷設者に対し報告を徴求し、施設に立ち入りのうえ設備、水質等について検査、質問できる権限を有し(九条)、その結果衛生上必要があると認められた場合には、当該施設の改善修理等の措置を命じ(一〇条)、これらに違反したときには施設の使用停止を命じる(一一条)権限を有していた。なお、これらの権限は、条文の文言上は、同条例四条による確認を受けた者に対するものであるが、右確認を受けていない敷設者に対しても行使しうるものと解すべきことは当然である。

(3) 学校保健法及び保健所法に基づく権限

学校保健法二条、同法施行規則二二条の二は、学校において毎学年定期になすべき環境衛生検査の項目として飲料水及び水泳プールの水の水質並びに排水の状況をあげており、被告幼稚園の監督庁たる本県知事においては、被告幼稚園が右検査義務を適正に履行しているかを管理監督する権限ないし責務があった。また、右施行規則二二条二号は、浄化消毒等の設備の機能等を環境衛生検査の項目としているのであるから、被告県は、被告幼稚園のなすべき右環境衛生検査を定期的に報告させるなどして、本件浄化槽が幼稚園設置基準に恒常的に適合するよう指導監督し、かつ本件浄化槽が衛生上無害であることを確認する権限ないし責務があった。

次に、被告県が設置した保健所には、保健所法二条により住宅、水道その他の環境の衛生に関する事項及び衛生上の試験及び検査に関する事項などにつき広範な行政指導及び事業実施の権限が認められており、本県知事も、同法一条に定める地方における公衆衛生の向上及び増進を図る目的を達するため、これらの事項を指導、実施する権限を有している。

(4) 法令適合性を確認し、改善指導する権限

本県知事には、学校教育法一四条により、法令の規定等に違反した学校に対する変更命令権限が認められ、また、同法一三条、私立学校法六二条により、法令の規定に故意に違反した学校法人に対する閉鎖解散命令権限が認められており、そこで、本県知事は、これらの権限を行使するために、所轄する幼稚園等が法令の規定に適合しているかどうかをチェックする権限を有しているものと解される。とりわけ、園児の生命健康に関わる法令である幼稚園設置基準、埼玉県自家用水道条例、学校保健法、同施行規則及び浄化槽法等の諸規定については、これらを順守しているかどうかをチェックすべきであった。そして、右権限は、幼稚園の設置認可、法人認可の申請時、施設変更設置届時、及び補助金交付申請の際の検査指導時など種々の機会を通じ随時容易に行使することができた。

(5) 補助金交付申請に対する諸権限

私立学校振興助成法一条は、国及び地方公共団体が行う私立学校に対する助成措置について規定することにより、私立学校の教育条件の維持及び向上を図ることを目的の一に掲げており、これを受けて、被告県は、補助金等の交付手続等に関する規則や私立学校運営費補助金交付要綱を定め、被告幼稚園に対し、同法並びに右要綱及び右規則などにより多額の補助金を交付してきた。

本県知事は、右要綱九条及び右規則一一条により被告幼稚園に対し、補助金交付の対象となる補助事業等(幼稚園の運営一般)の遂行状況について随時報告を求める権限を有し、また右規則二〇条により調査、検査及び立入等の権限を有していた。また、右要綱五条によれば、本県知事は、被告幼稚園が法令の規定、法令の規定に基づく所轄庁の処分又は寄附行為に違反しているときは、その状況に応じ、右要綱による補助金の一部又は全部を交付しないことができる旨定められており、右規則一五条以下にも同趣旨の規定がある。そして、私立学校法は私立学校の教育条件の維持及び向上を図ることを目的の第一に掲げており、それ故所轄庁に定員内是正命令や役員の解職勧告等の強大な権限を付与していることからすれば、一般的管理運営状況についても同法による指導検査権限が及ぶというべきである。ちなみに、私立学校振興助成法一二条にも、交付された補助金が適正に用いられ、また補助金交付の対象事業が法令に違反することがないようチェックする権限を所轄庁たる知事に付与している。

被告県総務部学事課においては、私立幼稚園に対する補助金交付にあたり毎年定期的に検査指導を行っていたが、その際用いられる検査指導調書では幼稚園の環境衛生検査、園具の安全点検を検査指導項目として掲げており、右検査等は極めて容易にすることができた。ところが、右検査指導の内容は専ら交付対象幼稚園の資産状況や財務管理が適正かどうか及び補助金算定の基礎となる園児数や教職員数等に主眼が置かれていたのであり、園児の生命健康に重大な影響のある環境衛生や健康管理にかかる検査指導は極めて杜撰であった。

平成二年一〇月八日に被告県総務部学事課により本件幼稚園に対する検査指導が行われたところ、平成二年度に入って発生した園児の事故や職員の健康悪化の事例を踏まえ、同課において学校保健法に定められた保健安全計画とその実施状況を把握指導すべき検査指導調書の様式を変更し、前記のように検査指導項目には「幼稚園の環境衛生検査、園具」が挙げられ、また当日被告幼稚園が持参すべき資料を追加したにもかかわらず、検査を担当した同課所属の専門調査員は、検査指導の主眼を専ら会計に置き、被告春男の確認書類はないとの報告は不合理であったのに、右報告を疑わずに資料の提出を求めず、飲料水の水質検査を含め環境衛生検査の結果を把握しなかった重大な過失があった。

(6) 浄化槽法に基づく権限

浄化槽法によれば、本県知事は、浄化槽設置者ないし管理者たる被告幼稚園に対し、浄化槽の保守点検又は浄化槽の清掃について必要な助言、指導、勧告並びに改善命令や一定期間の使用停止命令権限があり(同法一二条)、またこれらの権限を行使する前提として、浄化槽管理者に対し、浄化槽の保守点検、清掃に関して報告徴求権限や検査立入権限を有していた(同法五三条)。したがって、本県知事はこれらの権限を適切に行使して、本件幼稚園の浄化槽設備の管理が杜撰極まるものであることを早期に把握し、改善指導を行なうべきであったのであり、これさえ行われていれば本件事故が回避できたことは明らかである。

なお、被告県は、被告幼稚園に対する補助金交付の手続として資産に関する事項書、収支予算書、収支計算書等各種必要書類を被告幼稚園から提出させ、また被告幼稚園の施設状況について現地に赴いての検査も実施しており、本件浄化槽が財政措置と会計処理を伴ったことは明らかであるから、被告県は本件浄化槽の存在を認識していたものである。

ちなみに、浄化槽法は、昭和六〇年一〇月一日から(同法五三条は昭和五八年一一月一七日から)施行されたが、同法施行以前は、廃棄物の処理及び清掃に関する法律が本件浄化槽に適用され、本県知事は、浄化槽法に定めるのとほぼ同様の権限を行使し得た。

(五) 被告春男は、本件幼稚園設置認可時に要滅菌と指導されながらも翌年になるまで滅菌装置を施さず、また右装置が使用不能になるとそのまま放置し、そして自宅の飲用水は上水道に切り替えながら本件幼稚園の飲用水は井戸のままとしたばかりか、右井戸の水質検査の結果要煮沸とされても放置した。さらに、保護者が水質不安を訴えても根拠も無く問題がないと答え、果ては下痢症状を呈する多数の欠席園児が出ているにもかかわらず原因を探ることもなく放置した。このように、被告幼稚園の役員には園児の健康管理に対する配慮が全く欠落しており、教育施設の設置者としての責任感も自覚もない。このような幼稚園の設置者にどれ程園児の健康管理や環境衛生を保持する義務を課したところで本件事故は、本県知事が法律によって付与された諸権限を行使することによってしか防ぎ得ないものであった。

被告幼稚園では、設置認可時に要滅菌と判定されて以来、四半世紀余の間、一般細菌や大腸菌に汚染された本件井戸水を園児に飲用させてきたのであり、園児の生命及び身体が侵害される危険は日々切迫していたのであって、被告幼稚園の杜撰極まる管理のもとでは本件のような事故の発生は不可避であった。被告県は右危険の切迫を知りもしくは知り得たのであり、しかも本県知事は、前記のようにこれを回避するための諸権限を容易に行使できたにもかかわらず、何ら右諸権限を行使しなかったものである。したがって、本県知事の権限不行使が国家賠償責任を基礎付ける作為義務違反であることは明らかである。

なお、本県知事の右諸権限の不行使が裁量権の濫用に当たるか否かは問題ではない。すなわち、監督庁ないし所轄庁たる知事の諸権限行使が裁量に属するか否かは、監督を受ける本件幼稚園との関係においては意味を有するが、本件により被害を被った園児や保護者に対する関係では無意味であるし、また、本件幼稚園を監督すべき立場にあった本県知事は、右諸権限を行使することにより本件のごとき悲惨な結果を未然に防止すべきであったものであり、特に社会的に全く無防備である幼児の生命、健康に関わる、しかも集団的な教育の場における問題であることからすれば、右諸権限の行使が裁量に属するか否かは問題とすべきではない。

(被告県の主張)

(一) 原告らは、被告県が私立学校法等に基づく権限を有することを理由に被告県の不作為が違法であると主張するけれども、権限を行使しないことが直ちに作為義務違反とならないことは明らかである。そして、作為義務が明文で定められていない場合においても作為義務が肯定されるためには、(1)生命・身体・財産に対し具体的な差し迫った危険があり、これを行政庁が予見し、(2)行政庁の権限の行使が容易であり、(3)行政庁の権限の行使により、結果の回避が容易にできたという要件が充たされることが必要であるところ、本件においては、およそ右(1)の要件が充たされていないから、その余の要件の存否を問うまでもなく、被告県の作為義務は発生していない。

(二) 私立学校法等に基づく被告県の権限は、以下のとおりであって、原告らが主張するような内容ではない。

(1) 学校教育法に基づく権限について

学校教育法一四条が私立学校に適用されないことは、私立学校法五条二項から明らかであるから、本県知事は、学校教育法一四条に基づく権限を有するものではない。私立学校法において、設備・授業等の変更命令権限が所轄庁に与えられなかったのは、私立学校の自主性を尊重する建前に基づくものである。そして、そもそも学校教育法に基づく権限は、本県知事が国の機関として行使するものであるから、その行使及び不行使につき被告県が責任を負うことはない。

なお、本件幼稚園の設立認可時の飲料水の試験成績については、一般細菌が三〇〇検出され要滅菌と判定されているが、滅菌措置を講ずれば足りるもので、幼稚園の設立認可を不許可とすべき理由とはならない。本件事故は、設立認可から三〇年近く経過した後に汚水タンクの不備を原因として発生したものであって、設立認可との因果関係は存しない。

(2) 私立学校法に基づく権限について

私立学校法六二条は、本県知事に対し私立学校の施設・設備が学校保健法等に適合しているか否かを確認する権限を付与したものではない。すなわち、私立学校の自主性を尊重するために設備・授業等の変更命令を適用除外した私立学校法の下では、同法五条一項二号により本県知事に私立学校の閉鎖命令権限が付与されているからといって、右規定から直ちに私立学校の施設・設備が学校保健法等に適合しているかどうかを確認する権限があるとすることはできない。仮にこのような権限が本県知事に与えられているとすれば、少なくとも公益法人に関する民法六七条三項のような規定がおかれているはずであり、右のような明文の規定がないのに、本県知事が私立学校法人の業務等に介入できる法令上の権限があるとすることは私立学校の自主性を尊重する私立学校法の趣旨を無視するものである。

また、私立学校法に基づく権限は、本県知事が国の機関として委任を受けた機関委任事務であるから、その行使及び不行使につき被告県が責任を負うことはない。

(3) 学校保健法に基づく権限について

学校保健法に基づく環境衛生管理は、同法の規定から明らかなように、学校(園長)及び学校の設置者が学校における保健衛生上の権限を行使し、義務を負うべきものであって、所轄庁たる知事は保健衛生に関し何ら法令上の権限を有しているものではない。また、学校及び学校設置者に対して、所轄庁に対する報告・届出等の義務を課しているわけでもない。そこで、所轄庁は、学校の設置者等の右権限が適切に履行されるよう注意を喚起するなど、後見的ないし補充的な行政指導を行っているにすぎない。したがって、本県知事による行政指導にもかかわらず事故が発生したとしても、被告県に何らの法的責任が生じるものではない。

学校保健法上、本県知事には原告らが主張するような本件幼稚園に環境衛生検査結果を定期的に報告させる権限はなく、また私立学校法六条及び私立学校振興助成法一二条による報告を求める権限も、具体的事項を明記しているのではなく、どのような事項を報告させるかは裁量の問題である。本件において本件のような結果の発生を予見させるような格別な出来事もなかったのであるから、本県知事に法律上の義務違反はない。

(4) 私立学校振興助成法に基づく権限について

私立学校は、私立学校法に基づき理事、監事、評議員会により自主的に運営されるものであり、所轄庁である県知事は、私立学校の自主性を阻害しない範囲で必要最小限の権限を行使するにとどまるところ、私立学校振興助成法一二条に基づく権限は、助成した費用が適切にあるいは効果的に使用されているか等を検査指導するためのものである。

まづ、同法一二条一号の権限は指導権限ではなく検査権限にすぎず、また同号の質問検査等の検査事項及びその程度については所轄庁の裁量に属するところ、右検査事項は補助金の算定基礎となる事項及び会計事務処理に関する事項であって、学校保健法に関する事項は右検査事項の対象ではない。次に、同条二号ないし四号は、指導権限として、定員超過の是正命令、予算変更及び役員の解職の勧告権限を定めているにすぎないから、その行使も補助目的を達成する上で必要最小限のものにとどめるべきであり、一般的管理運営状況の把握等を目的として行使すべきものではない。そして、本県知事は、本件幼稚園の井戸水等の設備について学校保健法に違反しているとは知らなかったが、仮にこれを知っていたとしても、法令違反があったからといって、即勧告(解職)できるというものではなく、同法一三条の規定からも明らかなように、私立学校の自主性尊重の観点から慎重に対処すべきものである。なお、本県知事が施設の安全性や環境衛生問題について立入調査する権限は、同法によっては認められていない。

そもそも、同法による助成は、学校法人からの申請に基づいてなされるものであって、助成する側から、助成の必要性について、たとえば或る施設を設置すべきである等の判断を下して職権で助成をするものではない。したがって、同法に基づいて、助成に関する権限の行使により、本件事故を予見することができることはなく、またそのようなことを予定した制度ではない。

なお、補助金等の交付手続等に関する規則の是正命令権は、被告県の長たる知事の権限であり、またその権限は補助金等の交付決定の内容及び交付条件に適合しないときに認められるものであって、通常の業務運営の変更・是正の権限まで含むものではない。

(三) 排水施設関係について

本件浄化槽は、浄化槽法及び建築基準法に基づく届出がなされておらず、補助金交付の実績報告でも浄化槽の存否まで確認しておらず、また、本件事故発生に至るまでに本件浄化槽に対する苦情及び通報もなかったことから、被告県は本件浄化槽の存在を知り得る状況になく、さらに、平成元年度までに被告県内に約四〇万基もの届出のある浄化槽があったことから、届出のない浄化槽までも立入検査の対象になる可能性はなく、浄化槽法一一条の水質に関する法定検査の県内における受検率は平成元年度で約二パーセントにすぎなかった。したがって、本件事故前に被告県が本件浄化槽に対し立入検査等の権限行使することは実際上不可能であった。

仮に本件事故以前に本件浄化槽の立入検査が行われていたとしても、本件汚水タンク2は浄化槽の関連施設ではあるが浄化槽法の対象施設ではなく、地下に埋設されており、本件浄化槽自体は本件当時薬剤の補給を除いて概ね適正であったことから、本件汚水タンク2からの漏水が発見された可能性は極めて低い。また、浄化槽法及びその関係法令において、浄化槽処理水の消毒は、その放流水を直接飲用に供することを予定しておらず、環境衛生上支障がない程度の消毒効果を求めており、滅菌を目的として行うものではないから、放流水の水質については、生物化学的酸素要求量(BOD)が構造基準の中で性能基準として示されているだけであり、大腸菌群数についての基準は設けられていない。

以上のように、被告県が本件各浄化槽に対して有する指導権限は実際上その行使が不可能な状況であり、また、その権限を行使したとしても、本件事故の発生を予見し及び結果を回避することは不可能であった。

(四) 本件井戸水の関係について

本件幼稚園は、昭和三九年に本件幼稚園の設立認可を受ける際、中央保健所に本件井戸水の水質検査を依頼し、検査の結果、右保健所から要滅菌の指示を受けた。しかし、右依頼は、被告春男個人名義でなされたため、右保健所では当該井戸水が幼稚園の井戸水であることを把握できなかった。また、昭和六〇年に被告幼稚園が法人として認可を受けた際には、水質検査を実施していなかった。

昭和六二年一一月には、大宮保健所において、被告春男宅及び本件幼稚園の井戸水の水質検査が行われた。この水質検査は保健所が行政サービスとして行っているものであるが、水質検査の依頼が被告春男の個人名義でなされたため、右保健所は当該井戸水が幼稚園の井戸水であるとは把握できなかった。また、この時の検体の種類は「井水」、試験目的は「井水等の水質検査」であったから、被告県は、当該井戸水が自家用水道に用いられているとの認識も持てなかった。

そして、右検査の成績通知書の内容は、残留塩素が0.1PPM未満、一般細菌が一ミリリットル中一七〇個、大腸菌群が検出となっていた。一般細菌と大腸菌群の二項目について、煮沸すれば除去できるので、被告県は、煮沸するように行政指導した。そこで、被告春男が右行政指導に従っていれば本件事故は防止できたのであって、被告県の指導に落ち度はなかった。

被告幼稚園は、本件井戸水が埼玉県自家用水道条例に該当する施設であったにもかかわらず確認申請書を提出しなかったため、右条例を所管する保健所等においては右井戸水について知りようがなかった。したがって、把握のできない施設に対する権限の行使は事実上不可能である。

仮に、被告県(保健所)において本件井戸について知り得たとしても、本件事故を予見することは不可能であった。すなわち、本件における病原性大腸菌O―一五七は極めて特異なもので、この大腸菌を原因として被害事例は国内では全く報告されていなかった。また右大腸菌は塩素滅菌や煮沸で簡単に死滅するものであるが、被告県は本件幼稚園の設置認可の際等に、被告幼稚園に対し本件井戸水は滅菌が必要である旨指導したにもかかわらず、設置者がそれを遵守しなかったのであり、このような設置者の指導不遵守によって発生する事故まで予見することは全く不可能である。

ちなみに、本件幼稚園の設置認可自体の適法性については、認可申請時に飲料水試験において要滅菌の判定がなされているが、滅菌措置を講ずれば足りるものであり、このことをもって不認可とすることはできない。そして、実際本件幼稚園は、当時滅菌措置を施したものである。また、右認可から三〇年もの間特に問題はなかったのであり、認可から三〇年後の汚水タンクの不備を原因とする本件事故と、認可当時本件井戸水が要滅菌であったこととの間に因果関係は存しない。

3  損害

(原告らの主張)

(一) 裕也及び原告上甲、同杉山の損害

(1) 裕也の逸失利益

裕也は、本件事故当時六歳であり、現在における一般の学歴状況に鑑みれば、同人は大学に進学し、卒業後二二歳から少なくとも六七歳までの期間稼働したものと予想される。

同人の逸失利益の算定に当たっては、収入計算の基礎として大学卒男子労働者の全年齢全職業平均給与額により、かつ、中間利息控除をライプニッツ方式によるのが妥当であり、収入から控除すべき生活費は全稼働期間を通じて三〇パーセントとみるのが合理的である。そこで、これによって算定すると、裕也の逸失利益は三三一〇万五八五七円である。

(2) 裕也の慰謝料

裕也は、両親の愛情を一身に集めてすくすくと成長していたところ、大腸菌群などが検出され飲用に適さないと判定されていた井戸水を抵抗力の弱い園児に飲ませ続けたというほとんど故意ともいえる被告幼稚園らの重大義務違反と、被告幼稚園設置以来二〇年以上の間これを放置し続けてきた被告県の重大な監督義務違反により、突如として将来の希望を奪われ、長い苦しみの末他界しなければならなかったのであるから、同人の精神的肉体的苦痛は甚大である。そして、被告幼稚園らの悪質さ、事件前後における被告幼稚園らの不誠実な対応、本件が幼稚園という本来幼児の生命を育み心身の発達を保障すべき保育・教育の現場において発生し、大規模な集団下痢事件に発展し、全国の家庭に深刻な社会的不安を巻き起こし、並びに児童の権利に関する条約三条三項が、締約国は子どものケアまたは保護に責任を負う施設が設定された基準に従うことを確保する旨、及び六条が、締約国は子どもの生存及び発達を可能な限り最大限確保すると規定している趣旨も斟酌すれば、裕也の精神的苦痛を慰謝すべき金額としては、三〇〇〇万円が相当である。

(3) 相続

原告上甲及び同杉山は裕也の父母として、裕也の死亡により、裕也の被告らに対する右(1)及び(2)の合計金六三一〇万五八五七円の損害賠償請求権を各二分の一である三一五五万二九二八円宛相続した(右原告らが裕也の父母として、同人の死亡によりその権利を二分の一宛相続したことは、被告県以外の被告らとの間においては、争いがない。)。

(4) 原告上甲及び同杉山に対する慰謝料

裕也は、原告上甲及び同杉山が結婚後一三年目にして初めて生まれた子であり、同原告らにとって生きがいであった。ところが、被告らの一方的な重過失により、裕也は、本件大腸菌に感染し、前記のように激しく苦しんだうえ、その幼い命を落とした。裕也の発病から死に至るまでの右原告らの心労、不安、苦しみ、及び裕也の死亡による絶望、心痛は到底筆舌に尽くしがたいものである。したがって、右原告らの受けた精神的苦痛を慰謝すべき金額としては各自一五〇〇万円が相当である。

(5) 葬儀費用

原告上甲及び同杉山は裕也の葬儀費用として各自少なくとも五〇万円を支出し、右同額の損害を被った(この点は、被告県以外の被告らとの間においては、争いがない。)。

(6) 弁護士費用

原告上甲及び同杉山は、自らの損害賠償請求権を実現させるためには、右原告ら各自が弁護士に本件訴訟を委任せざるを得なかったところ、本件において弁護士に支払う報酬は、各五〇〇万円が相当である。

(二) 豊及び原告會田栄、同會田和江の損害

(1) 豊の逸失利益

豊は、本件事故当時四歳であり、現在における一般の学歴状況に鑑みれば、同人は大学に進学し、卒業後二二歳から少なくとも六七歳までの期間稼働したものと予想される。

同人の逸失利益の算定に当たっては、収入計算の基礎として大学卒男子労働者の全年齢全職業平均給与額により、かつ、中間利息控除をライプニッツ方式によるのが妥当であり、収入から控除すべき生活費は全稼働期間を通じて三〇パーセントとみるのが合理的である。そこで、これによって算定すると、豊の逸失利益は三〇〇二万八〇三九円である。

(2) 豊の慰謝料

豊は、両親の第一子として出生し、その慈愛を受けて成長していたところ、大腸菌群などが検出され飲用に適さないと判定されていた井戸水を抵抗力の弱い園児に飲ませ続けたというほとんど故意ともいえる被告幼稚園らの重大義務違反と、被告幼稚園設置以来二〇年以上の間これを放置し続けてきた被告県の重大な監督義務違反により、突如として将来の希望を奪われ、長い苦しみの末他界しなければならなかったのであるから、同人の精神的肉体的苦痛は甚大である。そして、被告幼稚園らの悪質さ、事件前後における被告幼稚園らの不誠実な対応、本件が幼稚園という本来幼児の生命を育み心身の発達を保障すべき保育・教育の現場において発生し、大規模な集団下痢事件に発展し、全国の家庭に深刻な社会的不安を巻き起こしたこと、並びに前記のような児童の権利に関する条約の趣旨も斟酌すれば、豊の精神的苦痛を慰謝すべき金額としては三〇〇〇万円が相当である。

(3) 相続

原告會田栄、同會田和江は、豊の父母として、豊の死亡により、豊の被告らに対する右(1)及び(2)の合計金六〇〇二万八〇三九円の損害賠償請求権を各二分の一である三〇〇一万四〇一九円宛相続した(右原告らが、豊の父母として、同人の死亡により、その権利を二分の一宛相続したことは、被告県以外の被告らとの間においては、争いがない。)。

(4) 原告會田栄、同會田和江に対する慰謝料

豊は、原告會田栄、同會田和江の第一子であり、右原告らは同人に愛情を限りなく注いで慈しみ育ててきた。また、豊は、弟に対しては、幼いながらも長兄として面倒をみるなど優しい性格であり、右原告らにとって、豊は人生の希望の象徴として、その成長はなにものにも代えがたい喜びであった。ところが、被告らの一方的な重過失により、豊は、本件大腸菌に感染し、前記のように激しく苦しんだうえその幼い命を落とした。豊の発病から死に至るまでの右原告らの心労、不安、苦しみ、及び豊の死亡による絶望、心痛は到底筆舌に尽くしがたいものである。したがって、右原告らの受けた精神的苦痛を慰謝すべき金額としては各自一五〇〇万円が相当である。

(5) 葬儀費用

原告會田栄、同會田和江は、豊の葬儀費用として各自少なくとも五〇万円を支出し、右同額の損害を被った(この点は、被告県以外の被告らとの間においては、争いがない。)。

(6) 弁護士費用

原告會田栄、同會田和江は、自らの損害賠償請求権を実現させるためには、同原告ら各自が弁護士に本件訴訟を委任せざるを得なかったところ、本件において弁護士に支払う報酬は、各五〇〇万円が相当である。

(被告幼稚園らの主張)

本件事故は、井戸水の飲料という一般的には高度の危険性があるとは認識されていない行為によって発生したものであり、数十年にわたって安全だとされていた飲料水が諸要因が重なって突然高い危険性をはらんだものに変化したのであって、被告らが当時井戸水の飲料につき危険性の認識をもつことはかなり困難であった。また、被告幼稚園は、本件幼稚園開設時及び昭和六二年一一月三〇日に埼玉県中央保健所から受けた、本件井戸水の飲料水試験の判定に基づく煮沸等の指示、指導に従わなかったものの、被告春男は、自宅の井戸水においてもこれより厳格な指示を受けながらこれを放置して自ら飲料していたのであって、本件井戸水のみを意図的に放置したという悪質性はない。そして、被告幼稚園らは、本件直後からその責任を痛感し、謝罪と責任をもって被害補償する旨表明し、他の被害者らに対し、総額で五三〇〇万円以上の示談金を支払ったこと、本件死亡は、被告幼稚園の過失の他に様々な要因が重なって惹起されたことからすれば、被告らが賠償責任を負うべき損害も、相当な範囲に限られるべきである。

第三  争点に対する判断

一  被告厚澤茂子、同関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明及び同厚澤日出男の各責任について

学校法人である私立幼稚園の理事等の役員の第三者に対する責任については、私立学校法その他の法律において、商法二六六条の三のような第三者に直接責任を負う旨の規定は存しないから、右役員において職務上の義務違反行為があれば、これによって直ちに第三者に対して責任を負うに至るのではなく、右役員らの責任が成立するのは、例えば、当該幼稚園の施設、設備の管理を担当している場合において、右施設等に瑕疵がありこれにより第三者が損害を被ることを認識し若しくは認識しうべきであったのにこれを放置した等、その行為が民法七〇九条等により第三者に対する不法行為を構成する場合に限られるものと解される。

被告春男本人尋問の結果によれば、本件当時、被告幼稚園の理事長は被告厚澤茂子であったが、同被告は被告春男の妻であり、贈与税の関係で名目上理事長になったにすぎず、本来理事長がすべき財務関係の仕事等も全て被告春男が行っていたこと、被告厚澤茂子は、本件幼稚園の管理運営に一切関わることなく、本件幼稚園に時々来園して雑用をしていたにすぎないこと、被告春男以外の被告幼稚園のその余の理事はいずれも被告春男の友人や親戚で、名目的な理事にすぎなく、被告幼稚園設立後、被告幼稚園の理事会は実際には召集されず、被告春男及び被告厚澤茂子以外の理事は、現実に本件幼稚園を見学したこともないことが認められ、また、乙ロ第二号証の一一によれば、被告幼稚園の法人設立の際も、被告春男が設立代表者として一切の権限を委任されていたことが認められる。

そうすると、被告厚澤茂子は名目的な理事長にすぎず、被告関山稔、同髙橋章夫、同厚澤保明、同厚澤日出男は、いずれも、名目的な理事であって、いずれも本件井戸、本件各汚水タンク、本件各浄化槽の管理につき、何ら具体的な職務を有しておらず、また、前記のように本件事故の原因は本件汚水タンク2の継ぎ目部分のモルタルが欠落し、同所から汚水が漏出して本件井戸に侵入したことであるから、これら事実に照らすと、右被告らにおいて、右各施設により園児らが損害を被ることを認識し若しくは認識しうべきであったということもできない。

したがって、右被告らについては、原告らとの関係において、本件事故の発生につき過失があったとは認められないから、不法行為は成立しないものというべきである。

二  被告県の責任について

1  本件において、原告らは、被告県の責任原因として、当該公務員の規制権限ないし行政指導の不行使を主張するので、まづ最初に、規制権限ないし行政指導の不行使によって被告県に国家賠償法一条一項による責任が生ずる要件について検討する。

(一) 規制権限の不行使による違法について

行政法規上、行政庁に裁量行為としての規制権限が与えられている場合、右権限の行使は、通常当該行政庁の専門的技術的見地に立つ合理的判断に基づく自由裁量に委ねられているのであって、当該公務員が右権限を行使しないからといって直ちに違法となるものではない。そこで、公務員に右権限を行使すべき作為義務が生じ、これを行使しないことがその職務上の義務に違反し違法となるかどうかは、右公務員において当該規制権限を行使することが可能であった場合において、右権限を行使しなかったことが、当該具体的事案の下において、右権限を定めた根拠法規の趣旨、目的等に照らし、著しく不合理であるかどうかによって決定すべきものと解するのが相当である。そして、権限の不行使が著しく不合理であるといいうるためには、(1)国民の生命、身体、財産等に対して具体的な危険が切迫していたこと(危険の切迫性)、(2)当該公務員が右危険を知り又は容易に知り得る状態にあったこと(予見可能性)、(3)当該公務員が当該規制権限を行使することにより容易に結果を回避しえたこと(結果回避可能性)、(4)当該公務員が当該規制権限を行使しなければ結果発生を防止しえなかったこと(補充性)等の要素が充足されることを要し、右違法性の判断に当たっては、これら事実をも総合考慮すべきものと解するのが相当である。

(二) 行政指導の不作為による違法について

行政指導は、法令上の根拠を有せず、法的拘束力や強制力も有しないものであり、行政指導を行うかどうかは、一般に当該公務員の広汎な裁量に委ねられており、しかも、その実効性は相手方の任意の協力による外ない。そこで、当該公務員が行政指導を行うべき作為義務を負うといいうるためには、当該公務員において当該行政指導をすることが可能であった場合において、右のような行政指導に関する特性を考慮して、当該具体的事案の下で、当該行政指導をしなかったことが、慣習、条理等に照らし、著しく不合理であるかどうかによって決定するのが相当である。そして、右判断に当っては、右(一)に挙げた(1)ないし(4)の要素等をも総合考慮すべきものと解するのが相当である。

2  そこで、本県知事等に原告らが主張するような違法な権限不行使があったかどうかについて、順次検討する。

(一) 幼稚園設置基準の充足についての判断及びその指導権限について

学校教育法三条及び同法施行規則七四条を受けた幼稚園設置基準九条五項は、幼稚園を設置しようとする者は、飲料水の水質が衛生上無害であることが証明されたものを設置しなければならないと定められているところ、乙ロ第一号証の一、四、五、一〇、証人青木の証言、被告春男本人尋問の結果によれば、被告厚澤茂子は、昭和三九年八月二〇日に本県知事に対して本件幼稚園設置の認可申請をしたこと、被告春男は、同年同月二九日に被告県の中央保健所で本件井戸の水質の検査を受け、その結果は一CC当たり細菌数三〇〇であって要滅菌であり、同年同月二九日に本県知事に対し右内容の本件水質検査書を提出したこと、本件幼稚園の開設当時本件井戸には滅菌装置が設置されていなかったこと、本件幼稚園の設立認可前に私立学校審議会の関係者が本件幼稚園に赴いたが、井戸の関係で何らかの指摘をしたことはなく、また保健所や被告県からも井戸の水質に関して指導されたことはなかったこと、本件幼稚園は設置基準に合致するものとして認可されたことが認められる。もっとも、被告春男が本件水質検査書を提出した際に本件井戸が本件幼稚園内に設置されていることも報告したと認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、被告春男が受けた右検査結果の細菌の種類、数等の内容に照らすと、右細菌が検出されたのは本件井戸で使用されていた地下水の水質が原因であると認められ、また被告春男本人尋問の結果によれば、本件幼稚園の開設後本件事故までの間には、本件井戸水による健康被害は何ら生じていないことが認められ、他方前記のように本件事故は、本件汚水タンク2の地中にある上端から六二センチメートルの継ぎ目部分のモルタルが欠落し、そのため同所から、本件幼稚園のトイレより排出された本件大腸菌を大量に含む汚水が漏出して、本件井戸に侵入したことが原因であり、なお、乙ロ第八号証によれば、本件大腸菌による集団下痢症の発症例はそれまで我国においては報告されていなかったことが、及び弁論の全趣旨によれば、右モルタルの欠落は本件幼稚園の開設後相当の時間の経過後に生じたことが認められる。そこで、これら事実に基づけば、本県知事が本件幼稚園の設置を認可する当時においては、本件事故発生の切迫性、その予見可能性等前記のような規制権限の行使につき作為義務が生ずる要件はまだ充たされていなかったのであり、したがって、本県知事が、本件井戸につき滅菌装置を設置するように指導し、又は右設置を確認してから本件幼稚園の設置を認可し、もしくは右設置を認可の条件に付するような作為義務を負うに至ったということはできない。

ちなみに、本件幼稚園の設置の認可は、本県知事が学校教育法四条、八二条及び三四条に基づき、国の機関として行ったものであるが、被告県は、右知事及びその補助機関の給与等を支給しているから、国家賠償法三条一項に定める費用を負担する者として、右知事の行為につき責任を負うこともありうるので、本県知事が国の機関として右認可を行ったというだけでは、被告県がおよそ右認可に関して責任を負うことはないということはできない。

(二) 埼玉県自家用水道条例に基づく権限の不行使について

埼玉県自家用水道条例九条によれば、本県知事が同条に基づき自家用水道につき報告を求め、あるいはその設備を検査する等の権限は、同条例四条一項により自家用水道の布設につき同知事の確認を受けた者に対して行使しうるものであり、また、同条例一一条に基づく施設の使用停止を命ずる権限は、同条例四条一項による確認を受けた者等が、右条例又はこれに基づく規則若しくは命令に違反したときに行使しうるものであるところ、証人青木、同海野の各証言並びに被告春男本人尋問の結果によれば、本件井戸は右条例の規制の対象である自家用水道に当たるけれども、被告幼稚園は右井戸の設置につき同条例四条に定める本県知事の確認を受けていなかったことが認められる。そうすると、同条例四条に違反して自家用水道の設置につき本県知事の確認を受けなかった者が、同条例一二条により処罰を受けることがありうることはともかくとして、本件井戸に関しては、本県知事が被告幼稚園に対し同条例九条あるいは一一条に基づく権限を行使しうる前提要件は欠けていたのであるから、右各規定に基づく権限の行使につき、本県知事に作為義務が生ずることはないというべきである。なお、前記のように本件幼稚園設置の認可申請に当たり、被告春男は本件水質検査書を提出したけれども、右提出に際し本件幼稚園に本件井戸が設置されていることまで説明したとは認められないから、被告春男が本件水質検査書を提出したことを理由に、直ちに本県知事が本件幼稚園が本件井戸を設置しこれを本県知事が知っていたものとして右条例九条の準用を考慮する余地はないものというべきである。

(三) 学校保健法及び保健所法に基づく権限の不行使について

(1) 学校保健法二条は、学校においては、生徒、幼児等の健康診断、環境衛生検査、安全点検その他の保健又は安全に関する事項について計画を立て、これを実施しなければならないと定めているところ、同条の趣旨は、学校における保健管理の円滑かつ効率的な実施のために、学校に同条所定の計画を立案すべき義務を課したものと解される。そして、同法施行規則二二条の二は、毎学年定期に飲料水及び水泳プールの水の水質並びに排水の状況、水道及び水泳プール等の施設及び設備の衛生状態並びに浄化消毒等のための設備の機能等の検査を行わなければならないと定めているが、右規定は、学校保健法二条の右のような趣旨を受け、その具体的項目を定めたものである。このように、右各規定は、学校の義務を定めたものであって、行政庁の何らかの権限もしくは義務を定めたものではなく、他に学校保健法もしくは同法施行規則において、本県知事が本件浄化槽が幼稚園設置基準に恒常的に適合するように指導監督し、かつ本件浄化槽が衛生上無害であることを確認する権限ないし責務を定めた規定は存しない。

(2) 次に、保健所法(平成六年法律八四号による改正前のもの)二条の規定は、保健所の業務の内容につき定めたものであることは、その文言によって明白であり、同法一条の規定も、同法の目的を定めたものであって、原告らが主張するような本県知事の行政指導権限を定めたものではないことは、明らかである。

(四) 法令適合性を確認し改善指導する権限の不行使について

(1) 原告らが援用する学校教育法一三条の規定は、学校が法令の規定に故意に違反し、あるいは法令の規定により監督庁のした命令に違反したとき等において、監督庁に学校の閉鎖を命ずる権限を付与しているところ(なお、立法の経過に鑑みると、私立学校に対する閉鎖命令は、私立学校法五条一項二号ではなく、学校教育法の右規定によるべきものと解される。)、私立学校に対する閉鎖命令は、当該学校教育を廃絶させるものであり、私立学校の自由を制限するばかりでなく、在学する児童、生徒にも重大な影響を及ぼすから、これを発し得るのは、その違反の内容が重大な場合に限られると解するのが相当である。そこで、被告幼稚園の所管庁(監督庁)である本県知事が、右規定による閉鎖命令をすべき義務、あるいは何らかの行政指導をすべき作為義務を負うに至る場合があるとすれば、本件幼稚園に閉鎖命令を発すべき程の重大な違反がある場合において、前記二1掲記の諸要件を充たすことを要するものと解される。

なお、学校教育法一四条は、私立学校法五条二項により、私立学校には適用されない。

(2) まづ、原告らが主張する幼稚園設置基準及び埼玉県自家用水道条例違反の点に関しては、右(一)及び(二)のような理由によって本県知事に作為義務を認めることはできないのであって、その内容に照らすと、本件幼稚園に対して直ちに閉鎖命令をなすべきものであったということはできないから、学校教育法一三条を根拠として、本県知事に何らかの確認指導をすべき作為義務を認めることはできない。また、学校保健法及び同法施行規則の順守の点に関しては、前記のようにこれら法規は行政庁の権限もしくは義務を定めたものではなく、学校の義務を定めたものであり、本件事故に至るまで本件井戸の水質によって園児等に健康被害が生じたことはなく、本件井戸の設置については本県知事の確認を受けてなく、したがって、同知事は本件井戸の存在を知らなかったのであるから、その余の点を判断するまでもなく、本県知事が、学校教育法一三条を根拠として、被告幼稚園が学校保健法及び同法施行規則を順守していたかどうかにつき確認指導をすべき作為義務を負っていたということはできない。

また、私立学校振興助成法及び浄化槽法に関しても、本県知事にこれら法律に基づく何らかの作為義務を認めることができないことは後記説示のとおりであって、学校教育法一三条に基づき、本県知事に私立学校振興助成法もしくは浄化槽法の順守に関する作為義務を認めることはできない。

(3) なお、以下のとおり、被告県が本件幼稚園の設置認可の後において、本件事故以前に被告幼稚園が本件井戸を使用し、かつ同井戸が汚染されていたことを知り又はこれを知ることができたと認めることはできない。

①ア 甲第九号証の一、二、第一〇号証、甲第一九号証の一ないし一八、第二〇号証の一、二、乙ロ第三号証、証人海野の証言を合わせると、次のとおり認められる。

厚生省は、企業等の排水によるトリクロロエチレン等の有害物質等によって地下水汚染等が進行したことから、飲用に供する井戸等について総合的な衛生の確保をはかることを目的として、飲用井戸等対策要領を定め、昭和六二年一月二九日に各都道府県知事等に通知した。

右要領は、個人住宅等を対象とする一般飲用井戸、官公庁、学校等を対象とする業務用飲用井戸等につき、地下水の汚染状況の把握に努め、及び飲用井戸等の衛生確保を図るためその設置場所、水質の状況等に関する情報収集・整理をするように努め、設置者等から管理状況等適宜必要な報告を受けるものとし、設置者等に対し、適正管理を実施するとともに、定期的に飲用井戸の構造等の点検を行い、施設の清潔保持に努め、定期及び臨時の検査を受けるように各指導すること等を内容としていた。右通知を受けた被告県は、同年三月一九日ころ、県下の市町村等に対して右要領の実施について通知するとともに、一般飲用井戸及び業務用飲用井戸等の設置状況の調査を依頼し、その際埼玉県自家用水道条例による確認を受けていない井戸等も調査の対象とし、その結果約二万九〇〇〇本の井戸が調査された。浦和市は、同年四月二二日に被告県に右調査結果を報告したところ、本件井戸については、その設置につき本県知事の確認を受けていなかったことから、その存在を知らず、したがって右報告に含めていなかった。そして、被告幼稚園付近では、水道が普及していたため、被告幼稚園が井戸を使用し、水道を使用していないことは、通常予想できなかった。

イ 右事実によれば、埼玉県内の井戸数は多数に上るから、その調査は市町村等の協力を得る方法によるしかなく、他方浦和市では水道が普及し、被告幼稚園が井戸を使用していたことは通常予想できなかったのであるから、右要領の実施によって、被告県が被告幼稚園において本件井戸を使用しかつ本件井戸水が汚染されていたことを容易に知ることができたということはできない。

② 甲第三号証、乙イ第八号証、証人五十嵐、同海野の各証言によれば、被告春男は昭和六二年一一月に被告県の大宮保健所において本件井戸水の水質検査を受けたところ、一般細菌が一ミリリットル中に一七〇個検出され及び大腸菌が検出され、煮沸することを要するものであったが、右検査は被告春男が個人名で申請したため、大宮保健所は右検体が本件幼稚園の井戸水であることを認識し得なかったことが認められる。そこで、右事実によれば、被告県が右検査によって本件幼稚園の使用する井戸水が汚染されていることを把握し得たということはできない。

③ 被告県が被告幼稚園を学校法人として認可し、あるいは被告幼稚園が温水プールを設置することを認可する際に、被告幼稚園における井戸の有無及びその水質を確認、調査する権限を有し、あるいは義務を負う旨定めた規定は特段存せず、また本件証拠上、被告県が右各認可時に本件井戸の水質を確認したと認めることはできない。

(五) 私立学校振興助成法による権限の不行使について

(1) 乙ロ第九ないし第一七号証、証人青木、同海野、同武井、同塩川の各証言、被告春男本人尋問の結果によれば、左記の事実が認められる。

被告県は、私立学校振興助成法に基づく補助金を交付するに当たり私立学校に対する検査指導を行っており、幼稚園の場合の具体的方法は、幼稚園検査指導調書と題し、第一学校法人の管理運営関係、第二幼稚園の管理運営関係、第三幼稚園の会計事務の処理関係の三大項目に分け、その各大項目毎に小項目の質問を設けた小冊子を準備し、補助金を申請する幼稚園に右質問に対する回答を記載した同調書を提出させ、その上で担当者が幼稚園の理事長等と面談するもので、なお必要に応じて立入り検査をしていた。

被告県は、右検査指導調書による検査の重点は、補助金が適切に使用されているかどうかであって、すなわち会計が中心であり、同調書の項目中後記の保健安全計画にかかわるものは、被告県にはこれに関する何らの権限もなく、その際に一般的な行政指導として注意を喚起するために行うもので、幼稚園はこれに応ずる義務はないとして措置していた。

被告県の総務部学事課の検査指導班専門調査員であった塩川修は、平成二年一〇月八日に被告春男に出頭を求め、被告幼稚園に対する検査を行った。なお、当時検査の対象となる法人の幼稚園は埼玉県内で五〇〇園を越え、検査を担当する右検査指導班の職員は、正規職員は塩川と他に一名、非常勤職員が二名であり、必要に応じ幼稚園係から五名の応援を受けていた。塩川は、事前研修を受けたが、その中心は会計に関する知識の修得であり、検査の実施方法は、前年の検査指導調書を対照し、前年度に指摘したところを中心に検査指導を行ない、前年度に問題がなかった箇所は、詳細に尋ねないというものであった。そこで、塩川は、前同日の検査指導において、被告春男に対し、被告幼稚園の経理に重点をおいて資料を提示させながら検査を進めた。

ところで、平成二年度の検査指導調書における幼稚園の管理運営関係の小項目では、(1)として、園児及び教職員に対する健康診断の実施状況及び健康診断表の作成の有無に関する質問が設けられ、括弧内に学校教育法六条、八条、同法施行規則三条と注記され、検査指導資料として健康診断票が挙げられ、(2)として、幼稚園の環境衛生検査、安全点検検査等を定期的に実施しているかどうかの設問があり、具体的には、①環境衛生検査、②施設・園具の安全点検、③その他の事項について、その実施につき、定期的、不定期、未実施の各欄が設けられ、該当欄に丸印又は必要事項を記載するものとされ、括弧内に学校教育法二条と注記され、検査実施資料として、幼稚園の保健、安全に関する計画書、環境衛生検査及び安全点検に使用した「チェックリスト」等が挙げられていた。

塩川は、右項目についても一応被告春男に確認し(1)のうち、健康診断票の作成の園児の欄には、当初作成欄に丸印が付されていたが、右診断票は正式なものでなかったため、塩川が未作成に訂正した。次に(2)のうち、①環境衛生検査ついては、定期的に実施の欄に丸印が付けられ、②施設・園具の安全点検については、不定期に実施の欄に丸印が付され、③その他については、温水プール水質検査と記入され、不定期に実施の欄に丸印が付されていたところ、塩川は、被告春男に確認した事実に基づき、①環境衛生検査欄に「浄化槽点検、プールの水質検査」と記入し、なお温水プール水質検査の記載から①の欄へ矢印を記入し、②施設・園具の安全点検欄に「毎月一五日実施とのこと」「チェックリストなし」「確認する資料なし」と記載した。この点については、被告春男は、保健、安全に関する計画書、環境衛生検査及び安全点検に使用されたチェックリストを持参しなかった。また、右検査指導調書には飲料水の水質検査及び浄化槽の浄化力についての項目はなく、塩川は、学校保健法施行規則二二条の二の規定についての知識を有しなかったこともあって、本件幼稚園の飲料水の水源、その水質検査、プール及び温水プールの水質検査、浄化槽の検査について、被告春男に質問しなかった。

(2) 私立学校振興助成法一二条一号によれば、所管庁は、助成に関し必要があると認める場合において、当該学校法人からその業務もしくは会計の状況に関して報告を徴し、又は当該職員に当該学校法人の関係者に対し質問させ、もしくはその帳簿書類その他の物件を検査させる権限を有し、また、甲第一五号証によれば、被告県の補助金等の交付手続等に関する規則第二〇条において、知事は、必要があるときは、補助事業者等に対して報告をさせ、調査もしくは検査に立ち会わせ、又は職員にその事務所等に立ち入らせ帳簿書類その他の物件を検査させ、もしくは関係者に質問させることができる旨定められているところ、同法五条及び六条が、国は、学校法人が法令の規定、法令の規定に基づく所管庁の処分又は寄付行為に違反している場合は、その状況に応じ、補助金を減額し又はその全部を交付しないことができると定めていることからすれば(なお、甲第一六号証によれば、被告県の補助金交付要綱五条にも、同旨の規定がある。)、同法一二条一号にいう助成に関し必要があると認める場合には、右のように学校法人が法令の規定等に違反しているかどうかを確認する場合も含まれるということができる。しかし、同法一二条は、所管庁の検査等の権限を規定したものであり、その際いかなる場合に右権限を行使するかは、所管庁の広範な裁量に委ねられていると解され、しかも、右検査等権限の行使の目的は、補助金の交付の可否やその金額を決定するためであって、仮に法令に違反する事態があったとしても、直接これを是正することを目的とするものではない。そして前記検査指導調書の項目も、所管庁が右のような裁量権の行使によって定め得たものであるから、前記検査指導調書に飲料水の水質検査及び浄化槽の浄化力についての項目がなかったとしても、これをもって直ちに違法ということはできない(もっとも、乙ロ第一七号証、証人武井の証言によれば、被告県は本件事故に鑑み、平成三年度から検査指導調書を改正し、健康診断、衛生管理及び安全管理に関するもののみの調書も作成し、その内容は、第一学校医・学校歯科医及び学校薬剤師の状況、第二保健安全に関する計画書の状況、第三園児・教職員等の健康診断の状況、第四環境衛生検査の状況、第五安全点検の状況とされ、その内訳の項目も詳細にしたことが認められる。)。

(3) 塩川は、右のとおり被告春男に対して本件幼稚園の飲料水の水源、その水質検査、プール及び温水プールの水質検査、浄化槽の検査について質問しなかったところ、本件幼稚園においては、前記のように折しも平成二年九月七日に下痢症患者が発生し、以後九月中に園児の家族等を含めて四八人が罹患し、一〇月に入るとさらに患者は増加し、同月一日から八日までの間の患者数は六三人に上っていた。

しかし、証人塩川の証言並びに被告春男本人尋問の結果を合わせれば、被告春男は、同年一〇月に入ると教諭から本件幼稚園のトイレが汚れているとの報告は受けたが、右のような集団的下痢症の発症に気付いてなく、ましてやその原因には全く想到しておらず、休園した園児の原因は風邪程度であると考えていたので、塩川にも休園する園児が多数に上っていることすら報告しなかったこと、また右集団的下痢症の発症は外部的にも知られておらず、そのため、塩川は、右集団的下痢症の発症、さらにはその原因を知らなかったことが認められる。そうすると、塩川は本件幼稚園において集団的下痢症が発症していることを知らず、またこれを容易に知り得る状況になかったのであり、また塩川の検査等の権限は、本来補助金の交付の可否やその金額を決定するためのものであるから、前記二1のような権限の行使につき作為義務を生ずる要件に照らすと、塩川において被告春男に対し、右飲料水の水源や水質あるいは浄化槽の浄化力等につき確認をすべき義務、もしくは保健、安全に関する計画書、環境衛生検査及び安全点検に使用されたチェックリストを提出させる義務を負うに至ったということはできない。

(六) 浄化槽法に基づく権限の不行使について

証人谷口の証言並びに、被告春男本人尋問の結果によれば、本件各浄化槽については、浄化槽法及び建築基準法に基づく届出がなされていなかったと認められ、そして、被告県が、本件事故以前に私立学校振興助成法に基づく補助金交付の手続書類、その検査指導、その他の事由によって本件各浄化槽の存在を知ったと認めるに足りる証拠はない。そうすると、被告県は、本件各浄化槽の存在を知らなかったのであるから、本県知事が被告幼稚園に対して浄化槽法一二条、五三条に定める権限を行使することはできなかったものである。したがって、その余の点を判断するまでもなく、本県知事に右権限を行使しなかった違法があるということはできない。

3 以上のとおりであって、被告県が原告らに対し国家賠償法一条に基づく損害賠償責任を負うと認めることはできない。

三  原告らの損害について

1  裕也及び原告上甲、同杉山の損害

(一) 裕也の逸失利益

裕也は本件事故による死亡当時六歳であり、甲第二号証、及び原告杉山本人尋問の結果によれば、同児は健康であったと認められるから、同児は本件事故に遭わなければ、高等学校を卒業後一八歳から六七歳まで稼働することが可能であり、その間賃金センサス平成二年度第一巻第一表、産業計・企業規模計・高校卒業男子労働者の平均年間給与額四八〇万一三〇〇円を基礎に計算した額の収入を得ることができたものと推認することができ、その間の裕也の生活費割合は五〇パーセントと認めるのが相当である。そこで、ライプニッツ式計算方式で年五分の割合による中間利息を控除すると、裕也の本件死亡当時の逸失利益の現在価格は、二四二八万七三七六円(一円未満切捨て。以下同じ)となる。

(二) 裕也の慰謝料

裕也は、本件事故のため幼くして死亡するに至り、そして、本件事故の原因は、本件汚水タンク2の地中の継ぎ目部分のモルタルが欠落し、本件大腸菌を含む汚水が同所から漏洩して本件井戸に流入したことであり、被告幼稚園及び同春男の責任原因は、前記第二の一4及び5のとおりである。そして、被告春男は、本件幼稚園の設置の際、幼稚園設置基準九条五項によってその飲料水の水質は衛生上無害であることが証明されたものでなければならないにもかかわらず、要滅菌の状態のままで本件井戸水を園児の飲用に共し、本件井戸につき埼玉県自家用水道条例に基づく本県知事の確認も受けず、なお被告春男本人尋問の結果によれば、本件幼稚園は昭和四〇年に本件井戸に滅菌装置を取り付けたが、その三、四年後に右装置を取り外したというのであり、さらに、昭和六二年一一月における本件井戸の水質検査の結果は煮沸を要するというもので、当時既に浦和市では水道が広く普及していたにもかかわらず、被告幼稚園においては、水道を布設せず、相変わらず本件井戸水を飲用に供しており、本件浄化槽についても所定の届出をしておらず、そして本件事故においても、平成二年九月以後休園する園児が増え出してからも、被告春男が事態の深刻さを理解しなかったことが被害を拡大した一因といえるのであって、このような経緯に鑑みると、被告幼稚園及び同春男が、学校保健法及び同法施行規則等関係法令の諸規定を順守し、本件幼稚園におけるまだ抵抗力の弱い多数の園児の健康を保持増進しなければならないという自覚に欠ける面があったことが本件事故の遠因であるということができる。そして、前記第二の一3(一)の事実と甲第二二号証、原告杉山本人尋問の結果によって認められる裕也の死亡に至る経緯、その他諸般の事情を斟酌すると、裕也に対する慰謝料は、一五〇〇万円をもって相当であると認められる。

(三) 原告上甲哲也及び杉山孝子は裕也の父母であり、同人の死亡により、その権利を二分の一宛相続したことは、右原告らと被告幼稚園及び同春男との間においては争いがない。したがって、右原告らは、裕也の右(一)、(二)の損害賠償請求権を各二一六四万三六八八円宛相続したものである。

(四) 原告上甲及び同杉山の慰謝料

甲第一及び第二二号証、原告杉山本人尋問の結果によれば、裕也は、原告上甲と同杉山が同棲を初めて一三年目に、婚姻後八年目に出生した子であって、右原告らは、裕也を愛育してきたところ、本件事故により、右(二)のような経緯で幼くして同児を失い、深甚な精神的苦痛を受けたことが認められる。そこで、本件事故の原因、被告幼稚園及び同春男の責任原因、遠因等諸般の事情を酌めば、右原告らに対する慰謝料は、各自二五〇万円宛をもって相当と認められる。

(五) 葬儀費用

原告上甲及び同杉山が裕也の葬儀費用としても各自少なくとも五〇万円宛を支出したことは、右原告らと被告幼稚園及び同春男との間においては争いがなく、甲第一号証、原告杉山本人尋問の結果によって認められる右原告らの年齢、その他諸般の事情を考慮すると、右葬儀費用は、本件事故と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

(六) 弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告上甲及び同杉山は、本件訴訟の提起及び追行を同原告ら訴訟代理人に依頼し報酬の支払いを約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用の額は、右原告らにつき各自二五〇万円宛と認めるのが相当である。

(七) したがって、原告上甲及び同杉山の有する損害賠償請求権は、それぞれ二五一万三六八八円となる。

2  豊及び原告會田栄、同會田和江の損害

(一) 豊の逸失利益

豊は本件事故による死亡当時四歳であり、甲第二三号証、及び原告會田栄本人尋問の結果によれば、同児は健康であったと認められるから、同児は本件事故に遭わなければ、高等学校を卒業後一八歳から六七歳まで稼働することが可能であり、その間賃金センサス平成二年度第一巻第一表、産業計・企業規模計・高校卒業男子労働者の平均年間給与額四八〇万一三〇〇円を基礎に計算した額の収入を得ることができたものと推認することができ、その間の豊の生活費割合は五〇パーセントと認めるのが相当である。そこで、ライプニッツ式計算式で年五分の割合による中間利息を控除すると、豊の本件当時の逸失利益の現在価格は、二二〇二万八三六四円となる。

(二) 豊の慰謝料

豊は本件事故のため幼くして死亡するに至り、本件事故の原因、被告幼稚園及び同春男の責任原因、右1(二)のような本件事故の遠因、前記第二の一3(二)の事実と甲第二三及び第三五号証、原告會田栄本人尋問の結果によって認められる豊の死亡に至る経緯、その他諸般の事情を斟酌すると、豊に対する慰謝料は、一五〇〇万円をもって相当であると認められる。

(三) 原告會田栄と同會田和江が豊の父母であり、右原告らは、豊の死亡によりその権利を二分の一宛相続したことは、右原告らと被告幼稚園及び同春男との間においては争いがない。したがって、右原告らは、豊の右(一)、(二)の損害賠償請求権を各一八五一万四一八二円宛相続したものである。

(四) 原告會田栄、同會田和江の慰謝料

甲第二、第二三及び第三五号証、及び原告會田栄本人尋問の結果によれば、豊は右原告らの第一子として、出生した子であって、右原告らは、豊を愛育してきたところ、本件事故により幼くして同児を失い、深甚な精神的苦痛を受けたことが認められる。そこで、本件事故の原因、被告幼稚園及び同春男の責任原因、右(二)のような豊の死亡に至る経緯、本件事故の遠因等諸般の事情を考慮すれば、右原告らに対する慰謝料は、各自二五〇万円宛をもって相当と認められる。

(五) 葬儀費用

原告會田栄及び同會田和江が豊の葬儀費用として各自少なくとも五〇万円宛支出したことは、右原告らと被告幼稚園及び同春男との間においては争いがなく、甲第二号証、原告會田栄本人尋問の結果によって認められる右原告らの年齢、その他諸般の事情を考慮すると、右葬儀費用は、本件事故と相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

(六) 弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告會田栄及び同會田和江は、本件訴訟の提起及び追行を同原告ら訴訟代理人に依頼し、報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用の額は、右原告らにつき各自二五〇万円宛と認めるのが相当である。

(七) したがって、原告會田栄及び同會田和江の有する損害賠償請求権は、それぞれ二四〇一万四一八二円となる。

四  結論

よって、被告幼稚園及び同春男は、不真正連帯債務として原告上甲及び同杉山に対し各損害賠償金二五一四万三六八八円宛、原告會田栄及び同會田和江に対し各損害賠償金二四〇一万四一八二円宛、及びこれらに対する同被告らに本件訴状が送達された日の翌日である平成三年六月三〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきであるから、原告らの本訴請求は、それぞれ右被告らに対する右の限度で正当として認容し、右被告らに対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求をいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大喜多啓光 裁判官髙橋祥子及び裁判官岡口基一は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官大喜多啓光)

別紙図面〈省略〉

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